3月11日。アブダビの空港は、とても綺麗で硬質な光に包まれておりました。自分がどこの国にいるのかも分からない空間でした。最近では、どこの国のどこの空港に行っても、空港の内側は同じ雰囲気、同じ匂い。こういう空間が、現時点で最も機能的で、効率的な空港とされている姿なのかもしれません。
さて、あの日、アブダビ空港のロビーで見た津波の映像は、この先、決して忘れることはないと思います。搭乗ゲートの近くにあった液晶モニタの中では、日本の海が、日本の大地をすごいスピードで飲み込んでいく、まるで現実感を欠いた映像が延々と流れていました。ちょうど礼拝の時間だったのか、空港内に響くアザーン(イスラム教の礼拝の呼掛)の放送が、さらに僕から現実感を奪っていきます。
2週間たった今でも、まるで時の流れが狂ってしまったかのような、奇妙な感覚の中にいます。長らく外国にいて、久々に帰ってきたその日に、日本の日常は変っていました。
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さて、この状況の中で、今の僕ができることは何か。ずっと考えています。この先どうなるのかは誰にも分からないけど、現時点の僕ができることは、信じること、受け入れること、そして備えること、なのかと思っています。
帰国してからしばらくは、何の身動きも取れずに、ネットやテレビで情報収集をしながら、原子力発電所の仕組みを調べたり、今後の日本の経済を考えたり、起こりうる社会問題なんかに思考を走らせたりしていました。その中で、印象として、メディアを先頭に日本全体が静かなパニックに陥っているように感じました。良くも悪くも「情報の力」を実感しています。
なので、僕は公式な発表を全て信じることに決めています。今この状況で情報を疑い始めたらきりがありません。正しい情報すらも疑うことになり、それが不信感に繋がり、見えない物、分からない物に対する怖れに変っていくように思います。もちろん、ただ単純に信じるのではなく、できる限りの情報を集めつつ、騙されることも覚悟の上で、日本のリーダー達を信じることが大切だと思うのです。
メール、ツイッター、ブログ、ユーストリーム。今は情報のソースが以前とは比べ物にならないぐらい豊富です。自分で情報の取捨選択ができるからこそ、情報が偏る可能性も決して少なくありません。だから、僕は自分の中の行動の基として、責任を持って国を信じて、場合によっては、責任を持って国に騙される。最悪の事態を想定しながらも、自分自身が地に足をつけて歩くために、そういうスタンスで行こうと思っています。
今、いち早く被災地に入り、支援を始めている友人がいます。原発事故の関係で県外、国外に退避している友人がいます。今も被災地で暮らす知り合いがいます。日常を大切に今までどおり生活をする人もいれば、これを金儲けのチャンスとして捕らえている人も、残念ながら、いるようです。そのなかで、今、自分は何をするのか。
世界は常に変化を続けているわけだけど、日本は3月11日を境に大きく変わりました。以前の日常はもう戻ってこないわけで。それならば、今のこの状況を受け入れ、過去を参考に、現状に適した価値観を再構築していく必要があるのではないかと、考えています。そして、被災地の方々の何かの助けになりたいという思いは、当たり前のこととして、自分の心のど真ん中にあります。明日には、福島県相馬市にある僕が所属するNGOの日本事務局に行く予定でいます。
でも、きっと今、32歳の僕がやるべきことは、1年後、5年後、10年後を考えながら、日本という国を再び世界中の誰からも羨まれるような、気持ちの良い国に戻していくための力になることではないかと。未来の子供たちに大きな負担を負わせないように、精一杯仕事をすることではないかと。思っています。
そのためには、今まで以上に自分の意識と能力を高め、その時に向かって備えること。つまり、今まで以上に毎日を丁寧に生きることだと、信じています。
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経済効率を優先させてきた世界の行き着く先が今の日本であれば、これはニンゲンにとって大きな転換期だと思います。これから伸びていく国は、決して同じところを目指してはならない。文明の進歩の形は、各地の空港のように、必ずしも同じ姿になる必要はありません。日本はもちろん、これから延びていく国々は、今の先進国の姿をそのまま追うのではなく、よりバランスの取れた、別の方向に向かって発展を遂げていってもらいたいと、思います。
学ぶことができれば、それは必ずしも失敗ではないはずです。大きな犠牲をともなう、大きな歴史の転換期に、僕達は今、生きている。
そう思っています。
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