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2010年10月

2010年10月23日 (土)

麦の道、豆の季節

Way大麦の畑の中を歩いていると、遠くで野良仕事をしているお百姓さんたちから、

おーい、豆もっていきなー

と、声をかけられます。

雨季もおわり、今、ラリベラでは豆がたくさんなっています。穀物の畑に囲まれて、ところどころに豆畑があるのですが、フィールドに出る度に、スタッフ達はそこらへんの豆を勝手にもいで、食べています。普通に豆泥棒です。

でも、こちらのカルチャー的には、それでいいらしいのです。声をかけられても、そうでなくとも、畑に実った豆は、道行く人が自由に食ても構わないという、素敵なルールがあるそうです。

よく実った穀物の畑の中を歩きながら、土とお百姓さんたちが育てた豆を口にしていると、その場所の景色の一部を食べているような。そんな愉快な気分になったりします。


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2010年10月19日 (火)

土を聴く

R0012285乾季になりました。

空気も乾燥し、土も乾燥し、草木も乾燥しています。

今の時期、乾ききった大地に水をまくと、土の中から微かに音が聞こえてきます。

パチパチパチ

歓声と拍手が混ざったような、そんな音。
まるで、土が喜んでいるような。

この音を聞くのがとても好きなのです。


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2010年10月15日 (金)

風吹かむとす

Ruach_2アディスアベバのような都会に比べると、土の匂いの混ざったラリベラの風は、とても心地がよいです。

風は太陽が暖めた空気の不均一を埋めるために働くもの。つまり温かい空気と、冷たい空気の温度差を無くす時に動く力。それを風と呼びます。

同じように、豊かな地域から、厳しい地域へ。恵まれた環境から、恵まれない環境へ。余裕のある人から、余裕のない人へ。そんな温度差を埋めるために、なんらかの力が働く時にも、気持ちのいい風が吹くらしい。

だから、これからもこういう気持ちのいい風の中に身をおいて、その風を全身で感じていたいと思うのです。

今日、駐在員交代の手続きを終え、3週間ぶりにラリベラに戻ってきました。久々のラリベラはやっぱり、なんだか落ち着きます。

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2010年10月 9日 (土)

タクスタスク

Days2日前に労働許可書を労働省に返却し、今日レジデンスIDカードをイミグレーションに返却しました。こちらで仕事をする上で重要だった2つのアイテムがなくなった今、妙に気持ちが軽くなっています。

こちらでのオフィシャルな役職も、Country Representative から、ただのスタッフに格下げになりました。実務的なことはまだまだ担当していかなければなりませんが、名目上だけでもこの重責から解き放たれた開放感は予想以上に大きいです。

3年前。前任者が引継ぎの最後にくれた言葉は「ごめんね」でしたが、僕は「よろしく」って言葉で、この引継ぎを終えたいと思っています。エチオピアでの最後の日まで、数年先を見据えた引継ぎを、していけたらと。

今日は、おいしいコーヒーを頂きました。

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2010年10月 8日 (金)

7 billion pieces of peace

Oceanそもそも、世界はざっくり70億個くらいあるんです。で、僕が生きられるのはそのうちのひとつだけってこと。

つまり、この世に生きる自我の数だけ、異なった世界があるんだと思います。僕の見ている世界は、僕というフィルターを通して、僕の視点から見えるものだけから構成されている。そして、それぞれの世界には、それぞれのルールがあって。

たいていの人はある程度、身をおいている社会の共通ルールを、自分の世界のルールにしているわけだけど、そのルールが絶対ではないことは、忘れてはいけないと思う。

ある人にとってどうでもいいことも、ある人にとってはめちゃめちゃ大切なことかもしれない。お金とか、権力とか、家畜の数とか、ビデオゲームのレベルとか。もちろん、その逆も然り。

そんなわけで、ざっくり70億個の世界の、共通の最優先ルールのひとつが、「平和」になったら、とてもうれしいなぁ、と思うわけです。

今日は、おいしいお肉を頂きました。


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2010年10月 7日 (木)

ベーコンとソーセージ

R0010183ベーコンとソーセージ、どちらがよりおいしいか。

そんなことを、まじめに議論している人たちがいたらどう思うでしょうか。

僕は、どっちでもいいじゃん。って思います。ベーコンもソーセージも、等しくおいしくて、等しく栄養があって、等しく動物の命。どっちが優れているかなんて、結論が出るはずのない議論です。好みもあるし。どっちもおいしい。それでいいじゃん。

もしも、どっかのバーで、ビール片手にそんな討論をしてる酔いどれを見たら、たいていの人はそういう風に感じると思います。

でも、これが政治経済だったり、開発援助論になると、どうもそうは行かないらしいのです。この難しく、複雑になりがちな議論と、ベーコンとソーセージの議論とは、一体何が違うんだろうか。

どんな経済政策も、どんな開発援助も、いろんな側面があります。地域によって、国によって、また組織によって、価値観も目指す場所も違う。流動的な世界の中で、正解を知っている人なんて誰もいないはずです。それに、少し視野を広げてみると、それらの影響は波紋のように広がって、その波紋の先は、もうなんだかよく分かりません。

デスクの上で出来上がる政治と経済。それに操られる人間。その犠牲になる動物や森や海。さらにそこから生まれる別の経済。

片手で援助をしながら、もう片手では計算機をはじく国。

病気や紛争や貧困。それを作ったのは政治と経済で、それを無くす取り組みで、儲けている人もいたり。

どんな経済政策も、どんな開発援助も、等しく目的があり、等しく誰かを豊かにし、等しく何かを傷つける。ように、僕は、思う。

だから、化学調味料が主成分の、ケミカルソーセージやケミカルベーコンのように、善意のないものはダメだけど、食べる人を幸せにする為に、心を込めて作られたソーセージとベーコンなら、べつにどっちでもいい。かな。

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