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2011年1月

2011年1月15日 (土)

そのせかい

Branch昨日、久々にドロラバの溜池に行ってきました。

僕たちが植えた木は順調に育っており、わらわらと空に伸びた枝の間では、鳥が巣を作っていました。同じ木の幹には、蟻が何かを運びながら行列を作っており、根元では何種類かの草が絡み合って伸びています。

一本の木の周りに広がるドラマ。

木を植えるという行いは、何もニンゲンの為だけでなく、こういうドラマの舞台、つまり鳥や、虫や、草にとっての世界を整える行いなのかもしれません。

自分たちで溜池を作ったり、木を植えたり、護岸工事をしたり、発電所を作ったり、自然の力をコントロールして、良くも悪くも環境を変える力を持った動物がニンゲンです。そして、自分たちの意志で地球の未来を選べる動物は、今のところ、おそらくニンゲンだけです。

だからその能力の使い方は、そのほかの多くの生き物たちにとっても、正しいものであって欲しいと、思うわけです。


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2011年1月14日 (金)

遠い国から

Yellowベガルタァセンダィ!
ベガルタァセンダィ!

今、ラリベラでは、子どもたちがこんな声を上げながら、ソックスを丸めたボールを追いかけています。

1月9日からの3日間、ラリベラではJリーグベガルタ仙台との共催でサッカーイベントが開催されました。9日には地元の少年サッカークラブが参加したベガルタカップトーナメントの決勝戦、10日、11日には、プロの指導者によるサッカー教室が行われ、子どもたちは本当に楽しそうに、グラウンドを走り回っていました。

ベガルタ仙台やサポーターの皆さんからは、こっちでは見たこともないステキなユニフォームやシューズ、ボールが寄贈され、ラリベラの人たちはテンション上がりっぱなしです。
FFFにとってはもちろん、ラリベラの人たちも今まで経験したことがないほど、カラフルで楽しいイベントになりました。

FFFが教室の参加者に配った記念Tシャツも大好評で、運良く手に入れることが出来た子どもたちは、誇らしげにこのシャツを着ています。教室に参加した12、3歳の少年が、近所の5、6歳の子どもたちを集めてサッカーを教えている光景も見かけます。自分がベガルタのコーチを教えてもらったことを、弟分たちに広めているような感じで、すっかり村の英雄気取りです。とても微笑ましい日常の景色。

イベントの成果は、数字や賛辞だけでなく、こうした子どもたち一人一人の今と未来をつなげる、ちょっとした、「うれしい気持ち」なのかもしれません。

今回は沢山の反省点もありましたが、第一回目のイベントとしては、大成功だったといえると思います。これから、これを毎年恒例のイベントにすることが出来たら、ラリベラと東北、エチオピアと日本の、気持ちの良い絆が出来上がっていくような、そんな予感がしております。いや、スポーツは素晴らしい。

このイベントのために尽力してくださった皆さま、本当にありがとうございました。


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2011年1月13日 (木)

すべてよしとする

Fire一昔前までは、一般の人が手が出せないくらい高額だった、テラバイトレベルのハードディスク。今では1万円台で買えるようになりました。個人が扱えるデータの許容能力は、日々の技術進歩と共に、飛躍的に増えてきています。

さて、ラリベラに戻ってからまだ一週間ですが、予想以上にしんどい日常が待っていました。

こないだのブログにも書きましたが、9月に赴任した後任者は、こちらの仕事や生活にメンタル面で追いつくことが出来ず、ギブアップをしてしまいました。僕自身も、彼女の扱いに難しさを感じつつも、彼女に合わせた、予定よりもずっと緩やかで、丁寧な引継ぎをしてきたつもりです。しかし、残念ながら、その努力はスピード離任という何とも虚しい結果となりました。まぁ、彼女は精神的に非常に危険な状態だったので、確かにやむをえなかった事態ではありました。

しかし、現地に戻ってくると、この退任に関するスタッフ達の認識は、僕自身が事務所長としての権力を他人に渡したくないがために、後任を無理やり退職に追い込み、現地スタッフに復讐するために戻ってきた。ということになっていました。何の復讐なのかも良く分かりませんが、彼らのその発想には心底驚かされます。また、昨年、会計担当のミスで生じた不明金は、僕が横領したと疑われており、僕の人間性までも豊かな想像力で罵倒をされました。

怒りや憤りを通り越して、本当に悲しくなります。

この状況の発端である日本事務局のその後の対応と無責任さにも失望をしているし、契約ベースで仕事をしている僕が、果たしてここまでやる必要があるのか、ということも、思っています。

しかし、それでもとりあえずは「すべてよし」とすることにしました。

怒りや侘しさや、ばかばかしさを含めて、「すべてよし」とします。今までは到底許すことの出来なかった出来事でも、ハードディスクの許容量の変化のように、心の技術を進歩させて、許容能力を増やしながらやっていきたいと思うのです。

******
色々な側面を冷静に考えて、先週末には、もう日本に帰ると決めていました。実際、ラリベラの空港に行ってチェックインまでしたのですが、最終的に現地スタッフたちから長々と謝罪をうけ、頭を下げられたので、これを断るのは大人気ない。ということで、やはり2月末まではこちらに留まることにしました。

エチオピアは難しくて、悲しい国だけど、だからこそ、もう少しだけこの国で。

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2011年1月 6日 (木)

大切な襷

Highland例えば、箱根駅伝で一番長い区間を全力で走って、それなりに順位を上げて、次の走者にタスキを渡した途端、その次の走者がいきなり転倒。他のチームにはごぼう抜きにされて、目も当てられない状況。もう自分は自分の役割を全うして、へとへとな状態なのに、次の走者は「あ、もう無理です」という感じ。チームの監督は「あ、じゃあ、君が代りにもう少し走っといて。」と。

そんな事態に陥ったとき、このランナーはどう対応すれば良いんだろう。

まるで準備が出来ていなかった次の走者や、その走者を選んだ監督に、理不尽さを感じないようにするのは、とても難しい。納得できない部分も沢山ある。と思う。でも、沿道で応援してくれている人々のためにも、ここまで懸命に走ってきた他のランナーのためにも、もう少し自分が走らざるを得ない。とも思う。

今僕は、まさにそんな状況にあります。

3年2ヶ月の間、こちらでの仕事に自分なりに全力で取り組み、次の人にいい状態で事務所の運営を引き継げるように、できる限りの事をしてきました。しかし、次の駐在員は3ヶ月でギブアップ。僕が想定していた中でも、最も避けたかった、一番悪いタイミングでのリタイアでした。

今、已む無く、再びエチオピアに戻ってきました。これから2ヶ月、現地の後始末に取り組みます。そして新しい人がくるまでの繋ぎの仕事をすることにしました。自分のモティベーションとしても、なかなか飲み込みがたい、非常に難しいシチュエーションですが、最終的に「この国に戻る」と決めたのは、2週間前の自分。もうやるしかないです。

これから、国内線でラリベラに戻り、なんとか、できる限りのことをやっていきたいと思います。体調も優れないし、未だに気分も晴れないけど、何とかします。

2011年。冴えないスタートになりましたが、そんなわけで、このブログももう少し続きます。僕ももう少しタフになります。今、手の中にある大切なタスキを、こんどこそ、しっかりと引き継げるように。

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