浜通りへ
鎌倉の皆さんから頂いた物資を持って、福島県の相馬市、南相馬市に行ってきました。「We are the Earth」をテーマに環境活動に取り組んできた兄(岡野龍介)の呼び掛けで集まった支援物資は、軽トラック一台分程の食料品、日用品。この先しばらくの必要量に比べたらまだまだ少ないかもしれませんが、多くの方々の思いの詰まった大切な物資でした。
相馬市はフー太郎の森基金の事務局があるので、僕も兄の行動に便乗する形で現地入りをしました。東北道から国道を抜けて相馬市に入ると、駅前は思っていたほど被害が少ないように見えました。しかし、海沿いに出ると景色が一変します。メディアで繰り返し報道されているような、瓦礫の山や、陸に乗り上げた船、スクラップになった車や、水の中に浮かぶ家。現実離れした日本の風景がそこにはありました。
幸い事務局のある新妻代表の自宅は大きな被害も無く、ライフラインもほぼ復旧していたので、まずは代表に連絡をとり、物資の受け入れ先を紹介してもらうことに。今回は代表の伝手で、物資を南相馬の集配所に受け取って頂き、相馬市で出荷が出来なくなってしまったイチゴを摘んで、南相馬市に運んでいきました。
南相馬市の桜井市長と新妻代表は古くからの友人なので、僕ら兄弟も市長にお会いし、直接お話しを伺う機会がありました。打ち解けた雰囲気の中で穏やかに、厳しく話しをする市長の言葉は、一つ一つが強く頭の芯に響きます。とても貴重な時間を過ごさせていただきました。
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現在、南相馬市では、原子力発電所の事故の影響で、その半分が退避指示地区、残りの半分が退避要請地区となっています。被災された多くの方は、自分の家のあった場所に戻ることはもちろん、遺品や遺体の捜索も出来ない状態です。相馬市も同じですが、当然水道水を飲むことは出来ません。自由に外に出ることも出来ません。物資も不足しています。地震と津波で大きなダメージを受けたまま、放射能という大きな恐怖を抱えたまま、復興に向けた一歩すらも踏み出せない状態にあります。
皆さんご存知のように福島第一、第二原子力発電所は東京電力の施設です。関東向けの電力を供給するために、福島県に建てられています。今、関東の人々が使う発電所の事故で壊滅的な被害を被っているのが、東北地方、とくに福島県の皆さんです。ある福島県民の友人は「原発事故は許せないけど、原発のおかげで潤っていた部分もあるから、、」と話していました。けど、今のこの状況を見れば、雇用や税金での利点なんて微々たるものです。日本人として、実にやりきれない現実。
放射能は確かに怖い。でも、今もその放射能の発生源の近くで暮らしている人たちが沢山います。たとえ危険でも自分の土地に留まることを決めている方もいます。行く場所が無くて戻ってこられた方もいます。そして何よりも、その原発の施設内で必死に戦い続けている人たちがいます。
今後、兄は相馬市、南相馬市、いわき市を中心に復興活動に取り組んで行くそうです。僕も出来る限り、日本人としてあたりまえのことをやっていきます。
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東北道が通行可能になったこともあり、往復の道中、沢山の物資を積んだ車を見かけました。この事態にこれだけの人が動いている。心強いです。僕らは必ず乗り越えられる。その光を見た気がします。
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コメント
お元気ですか
昨年、岩手の水沢に来ました
と、言うよりも
ブログ見てください
http://profile.ameba.jp/seasidekst240913/
また、会いたいな
お兄さんにもよろしくです
投稿: 萩 恒夫です | 2011年5月26日 (木) 22時12分